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地方政治と江戸時代


意外と複雑なんですね。
こんな仕組みになっているとは意外な事でした。

地方政治
江戸幕府より統治の許可を得た諸大名が原則的には一代に限り土地統治を認められた封建体制である。領土の支配体制は各大名の規模によってかなり異なるが、ほぼ幕府の支配機構体制に準ずる形をとった。身分制についても同じである。ただ、大名は支配土地を自由自在に支配できたわけではなく、幕府からは大目付が発する監察使にその行政を監視規制されていた。このため武家諸法度違反で相当数の大名が改易・減封処分を受けたが、この処罰は親藩・譜代・外様の別なく行われた。
大名には幕府によりその格式に定められた参勤交代と御手伝いの義務が課せられた。これが大名貧困化の大きな原因となった。これを打開するために藩政改革が18?19世紀にかけて各藩で実施される(早いところでは土佐藩が17世紀中葉に行った)。初期は倹約と藩札発布が主であったが、18世紀中盤になると塩・陶器などの土地産物の専売制がかなりの藩で実施される。変わったところでは紀州藩の「熊野三山寄付貸付」があり、大名みずからが金融業者になり利子を取るということまでしている。また、仙台藩が大坂の升屋の番頭である山片蟠桃に藩財政を総覧させたように財政を商人に任せるような藩も出てきた。
一部の国持大名の藩を除いて、藩の領地は中心城と城下町周辺と、その他は少し離れた飛び地を持っていた(相給)。この傾向は特に10万石前後の譜代大名に多く見られる。京都付近の淀藩は山城など近畿のほか遠く上総まで所領を持っていたが、これは稲葉家が上総から淀に移封する際に付いてきた物と考えられる。こういう例は意外と多い。
幕府の各大名の支配方法として、参勤交代と御手伝いの義務のほか、将軍の娘をもらったり息子を養嗣子としたり、お金を貸し与えたりした。また、大名と大名の間を婚姻関係や養子関係で結んだりしている。
なお、一部の例外を除いて、各藩は藩士への知行体制を18世紀初旬までに地方知行制(現地領主制)から俸禄制(サラリー制)へと変遷させている。
江戸時代初期、各藩は隣接する藩との間で境界争いが盛んとなった。有名な所では久保田藩と盛岡藩が干戈を交えるところまで発展した鹿角領争いであるが、これ以外にも仙台藩と相馬藩、萩藩と徳山藩などがある。これらは中期ごろまでに大体解決し、このとき決定した境界は現在にも引き継がれている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年03月06日 19:27に投稿されたエントリーのページです。

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